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【産後うつの経緯15】初めての精神科病棟と同じ病室の人たち

私の産後うつヒストリー

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精神科へ向かう

結局次の日から入院になった私は、姉の運転する車に父と3人で乗って、精神科のある病院へ向かいました。

後部座席で、鬱々としながらいつ飛び出そうかと考えていたことは覚えています。

その病院には来たことがなかったものの、社会人から15年ほど暮らしていた街の中心部にありましたので、よく見ていた病院ではありました。

まさか自分が、しかも精神科に入院するなんて…。

とはいえ、案内された6階の精神科病棟は私が考えていた病棟よりもずっとキレイで普通でした。

入院が長期化することを見越して、4人部屋を選びました。病棟の端っこで20代くらいの若い女性と、50歳くらいの方、70代くらいのおばあさんであることがカーテン越しにわかりました。

病室についてから、書類にサインしたり説明を受けたあと、姉と父には帰ってもらいました。

スマホは没収されていませんでしたが、文字が読めなくなっていたので、特にやることもなく、とりあえずベットで寝転んで過ごしました。

夕飯を食べて、夜までは普通でした。

しかし就寝前になって、20歳代の女性が5分置きにナースコールをしては「死にたい」と話していました。

夜中の2時くらいまで続いたでしょうか?やはり精神科病棟だな、ハードな所に来たなと思いました。

私を担当してくれることになった主治医は、まだ20代後半ごろのとても綺麗な女性でした。天は二物を与えるんだなあと関心した程です。

主治医は特に私に何も求めることはなく、平日は一日一回、病棟に来てくれて話を効いてくれました。

薬も薬剤師さんが一週間に一度、病室に届けてくれました。毎食後にその薬を飲んだかどうかを看護師さんが確認に来てくれていました。

入浴は週に3日で、入りたい人がホワイトボードに名前を書いて入るシステムになっていました。湯船も張ってありましたが、長居できないのでシャワーで済ませていました。

そういえば、子供が生まれてから湯船に浸かる余裕もなかったし、お風呂自体もめんどくさいと思っていました。

実はうつ病の人にとって、お風呂を入るのは結構難易度が高いことのようです。

また、それまで息子にミルクを飲ませるために、夜中に最低一度は起きていたので、その習慣が当分抜けなかったものの、とりあえず体は休めることが出来ました。

入院して1ヶ月

体は休めたものの、なかなか思考を変えることはできませんでした。

入院から1ヶ月経とうというのに、スマホで「子供を養子に出す方法」ばかりを検索していましたし、時々お見舞いに来てくれる夫にもその話ばかりしていました。

その度に「今は重要な決断はしないほうがいいよ」と言われていました。

その病院には一階にドトールコーヒーが入っていたので、夫が面会に来てくれた時に行くことがありました。

まだ外出許可が降りてなかったので、病室かカフェで話すしかなかったのもあります。

しかし「こんな私がコーヒーを飲んでもいいのだろうか…」と申し訳なく思うばかりで、大好きなコーヒーも味わうことができなくなっていました。

その頃、病棟の歓談室に100冊くらいの本が置いてあって、久しぶりに手に取ってみました。

私はカバンに常に2冊本を入れているくらいの活字中毒でした。しかし産後うつになってから読書ができなくなり、元々テレビも見ないし、外出もできないので暇でした。

本を読むことはできるようになりましたが、子供の記述が出ると読めなくなりました。

「私はここまで育てることが出来ない」と。

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