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【産後うつの経緯04】ついに来たおしるしと3月の雪

私の産後うつヒストリー

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自己肯定感が低い原因

臨月に入ってから気持ちが沈んだ日が続いていたものの、出産する日は刻々と近づいていました。

出産予定日は3/30でしたが、その日が来ても出産する気配がありません。早生まれだと苦労するので、いっそ4/2以降に産まれてくれたら…と願っていました。

なぜなら私自身が3月生まれであり、小さい頃に母親から行動が遅いと言われ続けていたからです。これが私の「自己肯定感」を低めた原因の一つでした。

自己肯定感とは「自分の存在には価値がある」「自分自身に満足できている」と自分の価値や存在意義を肯定できる、自分自身を認め尊重できる感覚のこと。
母親には「もし生まれてくる子に行動が遅いとか言ったら私が怒るからね」と釘を指しておきました。

翌31日の午前には、40週の検診を受けに行きました。子宮口は2センチ程のため、また来週に検診ということで帰宅しました。

それはおしるしから始まった

事前に見た出産のビデオでなんとなく出産の事が分かったものの、出産が何から(おしるし?破水?)始まるのか、私はそれに気が付くのだろうかと不安になってきました。

「おしるし」は出血混じりのおりもの。「破水」とは赤ちゃんの入っている卵膜が破れて中の羊水が流れ出ること。

帰宅後、母とテレビを見ながら話していると、15:30頃に下半身が少し濡れているような感覚がしました。

何度かトイレに行っても何かおかしいので医療センターに相談の電話をしてみると、一度検査に来るように言われました。

姉の車で病院に行く直前、たまたま仕事中の夫から電話がかかってきました。

私は立ち会い出産は絶対したくない派だったので、夫が病院に来る予定はなかったのですが、一応伝えておきました。

立ち会い出産は、妊産婦さんの精神的・肉体的苦痛を緩和することを目的とし、赤ちゃんの誕生という大切な瞬間をご家族で分かち合っていただく特別な機会。 

今から入院することになりそうなので、準備しておいて!

わかった…仕事中でも構わないから、また連絡して!

病院で検査すると、それはおしるしだったらしくそのまま入院に。大きなパットをつけても破水で濡れてしまいます。主治医からこう言われました。

遅くとも2日以内に陣痛促進剤を打って生まれるようにしますね。

特にやることもないので、私のバイブルともいえる、桐島洋子さんの『渚と澪と舵』を読みながら個室のベッドで過ごすことにしました。

桐島 洋子1937年7月6日 – )はエッセイニスト、ノンフィクション作家。長女は歌手・女優の桐島かれん、次女はエッセイストの桐島ノエル、長男は写真家の桐島ローランド

桐島洋子さんが、50年以上前に(!!)世界一周の船の上で次女を出産されるシーンを読んでいました。

22時頃からお腹の痛みが来たのですが、それが陣痛であることにしばらく経ってから気がつき、痛みの間隔をメモし始めました。

10分間隔だった痛みは少しずつ間隔を狭め始め、3分程になっていました。

3月の終わりだというのに外には雪が降りはじめ、しんしんと降り積もる静寂の中で、陣痛の痛みに耐えていました。

赤ちゃんが出てくる準備が整ったら、ママの意思とは関係なく起こり、痛みが起こっている状態と痛みが止んでいる状態を繰り返す。

陣痛とは本当に不思議な痛みで、寄せる波のように痛みがやって来ては、時間が来れば引きます。

その時間は一定なので、痛みの合間に夫にLINEしたり、痛みを堪えるためにテニスボールを借りて腰に当てたりしていました。

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