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自己肯定感が低い原因
臨月に入ってから気持ちが沈んだ日が続いていたものの、出産する日は刻々と近づいていました。
出産予定日は3/30でしたが、その日が来ても出産する気配がありません。早生まれだと苦労するので、いっそ4/2以降に産まれてくれたら…と願っていました。
なぜなら私自身が3月生まれであり、小さい頃に母親から行動が遅いと言われ続けていたからです。これが私の「自己肯定感」を低めた原因の一つでした。
翌31日の午前には、40週の検診を受けに行きました。子宮口は2センチ程のため、また来週に検診ということで帰宅しました。
それはおしるしから始まった
事前に見た出産のビデオでなんとなく出産の事が分かったものの、出産が何から(おしるし?破水?)始まるのか、私はそれに気が付くのだろうかと不安になってきました。
帰宅後、母とテレビを見ながら話していると、15:30頃に下半身が少し濡れているような感覚がしました。
何度かトイレに行っても何かおかしいので医療センターに相談の電話をしてみると、一度検査に来るように言われました。
姉の車で病院に行く直前、たまたま仕事中の夫から電話がかかってきました。
私は立ち会い出産は絶対したくない派だったので、夫が病院に来る予定はなかったのですが、一応伝えておきました。
今から入院することになりそうなので、準備しておいて!
わかった…仕事中でも構わないから、また連絡して!
病院で検査すると、それはおしるしだったらしくそのまま入院に。大きなパットをつけても破水で濡れてしまいます。主治医からこう言われました。
遅くとも2日以内に陣痛促進剤を打って生まれるようにしますね。
特にやることもないので、私のバイブルともいえる、桐島洋子さんの『渚と澪と舵』を読みながら個室のベッドで過ごすことにしました。
桐島洋子さんが、50年以上前に(!!)世界一周の船の上で次女を出産されるシーンを読んでいました。
22時頃からお腹の痛みが来たのですが、それが陣痛であることにしばらく経ってから気がつき、痛みの間隔をメモし始めました。
10分間隔だった痛みは少しずつ間隔を狭め始め、3分程になっていました。
3月の終わりだというのに外には雪が降りはじめ、しんしんと降り積もる静寂の中で、陣痛の痛みに耐えていました。
陣痛とは本当に不思議な痛みで、寄せる波のように痛みがやって来ては、時間が来れば引きます。
その時間は一定なので、痛みの合間に夫にLINEしたり、痛みを堪えるためにテニスボールを借りて腰に当てたりしていました。
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